朝鮮王朝後期の名君として名声を博した正祖(チョンジョ)。時代劇『イ・サン』の主人公としてもよく知られている。彼は優秀な国王であっただけでなく、漢方薬についても医者ほどに詳しかった。
医官に薬の指示を出す正祖
1800年6月、48歳の正祖は高熱を発した。
からだに大きな腫れ物もできていた。
一旦は病床に伏した正祖だったが、なんとか起き上がって、薬を調合する現場を自ら視察している。
それは、彼自身が薬について本当に詳しかったからだが、同時に、毒殺されることを警戒する気持ちも働いていた。
そんな中、正祖は徐々に衰弱していった。
6月27日、侍医が正祖の脈を取り、「脈が弱いようです」と述べた。
医官と正祖が服用薬について話し合った。
正祖「キョンオッコ(漢方薬の名)は昨日も服用したが、蒸し暑い時期には効果があまりない」
医官「キョンオッコはゆっくりと養生するときの薬ですから、すぐの効果を期待するのは難しいようです。他の煎じ薬と一緒に服用するのがいいでしょう」
正祖「今後は病状にすぐ効く薬を使ったほうがいいだろう」
6月28日、正祖が「煎じ薬をどのようにすれば良いのか」と尋ねた。医官は「気を補う薬を使いながら、脾臓を温かくする必要があります」と答えた。
しばらく後に、煎じ薬が正祖の病床に運ばれてきた。
正祖が「誰が作ったものなのか」と尋ねた。
医官は「姜最顕(カン・チェヒョン)が作ったものですが、多くの者と相談して決めた煎じ薬です」
すかさず正祖が「5匁(もんめ/重さの単位で約3・75グラム)くらいか」と尋ねると、医官が「人参(にんじん)が3匁入っています」と答えた。
その説明に納得した正祖だったが、結局は漢方薬が彼を救うことはできなかった。
正祖はその後に危篤状態になってしまい、そのまま帰らぬ人となった。
侍医と同じくらい漢方薬に詳しかった正祖。当時の医療レベルでは、正祖も48歳まで生きるのが精一杯だった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)