王宮の烈女と悪女10「文定王后」

11代王・中宗(チュンジョン)には3人の妻がいた。最初の妻は父が燕山君(ヨンサングン)の側近だったために追放された端敬(タンギョン)王后。2人目の妻は12代王・仁宗(インジョン)を産んですぐに亡くなった章敬(チャンギョン)王后だ。そして、3人目の妻が文定(ムンジョン)王后〔1501年~1565年〕である。





文定王后の暴政

文定王后は早くして亡くなった章敬王后の代わりに仁宗を育てた。
しかし、自分の子ではない仁宗を彼女はうとましく思い、常に邪険に扱った。そうした感情は、中宗との間に息子を授かるといっそうひどくなっていった。
継母に憎まれながら王になった仁宗。
しかし、文定王后は執拗に彼の命を狙い自分の息子を王にしようと常に画策していた。彼女の願いが通じたのか、仁宗は即位して1年もたたずにこの世を去った。
こうして彼女の息子は13代王・明宗(ミョンジョン)として即位した。しかし、明宗は12歳と幼く、文定王后は垂簾聴政を開始した。
彼女は横暴なやり方で朝廷の中枢を独占した。朝鮮王朝は彼女の意のままになったのだ。
こうした政治体制は、明宗が20歳を超えて垂簾聴政が終わろうとも、変わることはなかった。




明宗も母の横暴なやり方を止めようとしたが、完全に権力を掌握されていたためにできなかった。明宗は母の暴政に毎晩涙したといわれている。
1565年、文定王后は64歳でこの世を去った。明宗はようやく自らの政治手腕を振るえる機会を手に入れた。しかし、母の暴政の心労がたたってか、2年後にはわずか34歳で世を去った。

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