王宮を訪ねてみよう3「昌慶宮」

ハングルを自ら創製したことでも知られる4代王の世宗(セジョン)。朝鮮王朝最高の聖君と称されています。彼はもともと3代王・太宗(テジョン)の三男でした。長男をさしおいて自分を王に指名してくれたことを父に感謝していました。

正殿の明政殿(ミョンジョンジョン)



王族の年長者が住んだ離宮

父にお礼がしたいと考えた世宗は、父が建てた昌徳宮(チャンドックン)のとなりに新しい離宮を建設することで自分の気持ちを伝えようとしました。
その離宮が1418年にできた寿康宮(スガングン)であり、1483年以降は昌慶宮(チャンギョングン)として発展しました。
当時、王族の年長者たちは落ちついて暮らせる離宮を好む傾向があり、そういう要望が強まるたびに昌慶宮は規模が大きくなっていきました。
昌慶宮には特別な特徴があります。朝鮮王朝の他の王宮のほとんどが南向きなのに対し、昌慶宮は正門と正殿が東向きになっています。
それは、東に向かって平地が開けていたので、その地形にさからわないように建てたためです。
昌慶宮では多くの王族が暮らしていただけに、重大な出来事もたくさん起きています。




たとえば、21代王の英祖(ヨンジョ)が息子の思悼(サド)世子を米びつに閉じ込めて餓死させた事件が起きたのは1762年でした。
昌慶宮は、悲劇の歴史の舞台でもありました。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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