朝鮮王朝には合計すると42人の王妃がいた。その中には、幸福な人生を満喫した王妃もいれば、悲惨な目にあった王妃がいた。今回は、ひどい仕打ちを受けた「悲惨な五大王妃」を取り上げてみよう。
理不尽な廃妃
最初に取り上げるのは、廃妃・尹氏(ユンシ)である。
彼女は9代王・成宗(ソンジョン)の二番目の正室だった。
成宗が寵愛する側室を呪い殺そうとしたうえに、成宗の顔を引っかくという騒動を起こしてしまう。その結果、朝鮮王朝で初めての廃妃となり実家に帰された。
彼女にも問題があったのだが、それを悔いて反省の日々を送った。
しかし、尹氏を嫌う仁粋(インス)大妃(成宗の実母)の陰謀によって悪評をばらまかれ、最後は死罪となってしまった。
あまりにも哀れな最期だった。
次は、端敬(タンギョン)王后だ。
11代王・中宗(チュンジョン)の最初の正室である。
燕山君(ヨンサングン)を追放するクーデターが成功して異母弟の中宗が王に上がるとき、不安にかられた夫を精神的に支えた。
しかし、彼女の叔母が燕山君の正室で父が燕山君の側近であったことが問題となった。クーデターを成功させた高官たちは端敬王后の廃妃を主張した。それを中宗は拒めず、端敬王后は王妃になってわずか1週間で廃妃となってしまった。本人にまったく落ち度がないのに、廃妃になったのはあまりに理不尽であった。
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『七日の王妃』の端敬王后(タンギョンワンフ)はなぜ七日で廃妃になった?
英祖(ヨンジョ)に米びつに閉じ込められた思悼世子(サドセジャ)はどうなった?