昭顕世子(ソヒョンセジャ)の悲劇的な最期とは?

1637年1月、清の大軍に攻められて敗北した朝鮮王朝は、16代王・仁祖(インジョ)が屈辱的な謝罪をして滅亡を免れた。しかし、昭顕(ソヒョン)世子を初めとして仁祖の3人の息子が人質として清に送られた。その昭顕世子が人質生活を終えて母国に帰ってきたのは1645年2月のことだった。

写真=韓国MBC『華政』公式サイトより

父子の関係が悪化

慟哭して息子たちを清に送った仁祖。8年ぶりに長男が帰ってきて感動の再会を果たすと思いきや、仁祖は不機嫌だった。清と仲良くなった昭顕世子が王位を狙っていると仁祖が勘違いした結果だった。
父と対面した昭顕は、清の文明の先進性を語った。激怒した仁祖は昭顕に向かって硯を投げつけた。
「お前の顔は見たくない!」




もはや父子の関係は決定的に悪化した。
その直後に衝撃的なことが起こった。
(ページ2に続く)

昭顕世子(ソヒョンセジャ)の一家は仁祖(インジョ)につぶされた!

『華政』は光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)を好対照に描いた!

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