徳寿宮が誕生する過程には、朝鮮王朝の王位継承に関する逸話がありました。それは、1469年のことです。8代王の睿宗(イェジョン)は即位して1年あまりで亡くなってしまいました。あまりにも突然の死であったため、後継者は決まっていなかったのです。当然ながら、王朝内では次の王を誰にするかで大きな混乱が起こりました。
兄を慰労する私邸
王位継承問題で朝鮮王朝が混乱したとき、誰よりも迅速に行動したのが睿宗の母の貞熹(チョンヒ)王后でした。彼女は「自分の権力を行使するのに好都合」という理由で、睿宗の兄の二男を9代王・成宗(ソンジョン)として即位させました。まだ12歳で、彼には15歳になる兄がいたというのに……。
成宗は、祖母の思惑によって兄が後継者からはずされたことを気の毒に思い、兄を慰労する目的でりっぱな私邸を贈りました。
それがのちに徳寿宮になりました。
徳寿宮は、波瀾の時代に政治の表舞台になりました。
朝鮮王朝は1592年に豊臣軍に攻められて景福宮(キョンボックン)や昌徳宮(チャンドックン)が被害を受けたのですが、その際に正宮になったのが徳寿宮で、1608年には15代王・光海君(クァンヘグン)の即位式も行なわれました。
現在、徳寿宮はソウル市庁舎の真ん前にあります。日本統治時代に敷地が縮小されてしまいましたが、正殿の中和殿(チュンファジョン)の前に立つと、朝鮮王朝の伝統を肌で感じます。
その左側に西洋建築が目立つのは、朝鮮王朝末期にこの国が周辺各国の干渉を受けた名残です。
文=康 熙奉(カン ヒボン)