朝鮮王朝の「五大古宮」の中で一番規模が小さいのが慶熙宮(キョンヒグン)です。五大古宮の中では最も西側に位置しています。ここも、歴史に翻弄されて様々な運命をたどっています。
王朝創設者の威光
現在の慶熙宮がある場所には、もともと朝鮮王朝を創設した李成桂(イ・ソンゲ/初代王・太祖〔テジョ〕)の私邸がありました。王朝創設者の威光は絶大で、私邸は聖地のように大切に扱われていたのです。
さらに、15代王・光海君(クァンヘグン)の時代に大々的に改修されて離宮となりました。慶熙宮と呼ばれるようになったのは1760年からで、その後も多くの王族が重宝していたのです。
不運にも1829年に火事にあって大部分を焼失してしまいますが、1831年に再建されています。
1910年に朝鮮半島は日本の植民地になりましたが、その時代に古い施設が撤去されて学校が建てられ、かつて王宮であった痕跡がなくなってしまいました。朝鮮王朝はすでに滅んでいて、初代王の威光も意味をなさなくなっていたのです。
解放後にはソウル高等学校となっていましたが、1987年にその高校を移転させて本格的な復元工事が始まりました。
その復元は、歴史を見直す風潮が後押しした結果でした。そして、発掘調査を通じて主要建築物の位置を特定し、正殿の崇政殿(スンジョンジョン)などが次々に甦っていきました。
今、慶熙宮の敷地内にはソウル歴史博物館もあって、ソウルの歴史が一目でわかるようになっています。
文=康 熙奉(カン ヒボン)