王妃の歴史実録14/まさに女帝だった仁粋大妃の人生/後編

仁粋大妃の功績で有名なのは、『内訓(ネフン)』という本を著したことです。女性が守るべき道徳、倫理、生活態度などをまとめた本で、いわば上流階級にいる女性のための修身の教科書です。





悲惨な最期

『内訓』の内容も、男尊女卑の風潮が強かった当時の社会を反映して、“親に従い、夫に従い、子に従う”という三従主義が説かれています。
1475年頃に書かれたもので、以後は長く宮中の女性のたしなみとして読まれ続けました。
仁粋大妃は、姑としても存在感を見せつけます。成宗(ソンジョン)の妻は、韓ミョンフェの娘でした。恭恵(コンへ)王后と言いましたが、18歳で亡くなってしまいます。その原因は成宗にもありました。
成宗は側室のもとに入り浸りだったので、恭恵王后は精神的に病んでしまいました。その末での夭折でした。
成宗のお気に入りだった側室が尹氏(ユンシ)でした。彼女は仁粋大妃から目の敵にされます。
とにかく、仁粋大妃は尹氏のことを“育ちが悪くて学問がない”と徹底的に嫌っていました。尹氏は仁粋大妃に嫌われたことが死罪になる原因になりました。




その尹氏の息子が10代王の燕山君(ヨンサングン)です。仁粋大妃は暴君と化した燕山君を叱りつけますが、逆に暴行されて亡くなります。
王宮女性の修身教科書『内訓』を著した偉大な仁粋大妃は、孫の暴力によって世を去るという悲惨な最期を遂げました。これこそが韓国時代劇がひんぱんに描く“不条理”そのものです。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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