映画『タクシー運転手』『1987』のための韓国現代史解説!

韓国では現代史を描いた映画の制作が続いている。特に『タクシー運転手 約束は海を越えて』と『1987、ある闘いの真実』が傑作という評価を受けている。こうした映画の時代背景を見てみよう。





光州事件

1979年10月に朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が暗殺されて以降、民主化を求める学生と市民の声は全土で高まった。事態の収拾を強行策ではかろうとした韓国政府は1980年5月18日午前0時、全土に非常戒厳令を拡大した。
だが、光州(クァンジュ)ではデモ隊の活動が激化し、鎮圧に乗り出した軍との間で衝突が発生。これによって、学生と市民に多数の死傷者が出た。
5月20日になって、軍の暴発に激怒した民主化勢力が決起して市庁や警察を占拠。軍は市外への退却を余儀なくされ、光州市は民主化勢力による収拾対策委員会の管理下に置かれた。
軍の実権を握っていたのは全斗煥(チョン・ドゥファン)だが、彼の命令によって軍は5月27日に再度光州市内に突入。武力によって学生と市民の多くが虐殺された。これが光州事件であり、『タクシー運転手』の時代背景になっている。
1980年8月に大統領となった全斗煥は、間接選挙制のもとで与党勢力に推されて就任し、強圧的な軍事政権を率いた。特に、メディアに対して政権に有利な報道を強制。国民の間での自由な論調は完全に押さえ込まれた。




特に、全斗煥が進めたのが「愚民化政策」と呼ばれるものだ。それは「3S」という言葉に象徴される。政権は、「スポーツ(プロスポーツの活性化)」「スクリーン(娯楽産業の奨励)」「セックス(性産業の黙認)」に国民の関心を向けて政治に関与させないように仕向けた。
その一方で、経済は急速に発展した。欧米への自動車の輸出が急増し、そのめざましい経済成長は「漢江(ハンガン)の奇跡」とも称された。
しかし、国民の生活が豊かになっていっても、在野勢力の不満は一向に解消されなかった。強圧的な取締りによって集会・表現・出版の自由も制限された。
そんな中でも、韓国は1986年にソウルで開催されたアジア大会を成功させ、1987年には翌年に迫ったソウル五輪への準備も着々と進んでいた。
しかし、「時期がくれば平和的に政権を委譲する」と表明していたはずの全斗煥は、7年間の大統領の任期が終盤にさしかかると、大統領制から議院内閣制への移行をはかるようになった。
この動きに対して野党は疑いの目を向けた。




議院内閣制に変えて全斗煥は引き続き首相の座を維持して権力の保持につとめるのではないか、という猜疑心をもったのだ。
その最中に大事件が起きた。
(ページ2に続く)

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