韓国時代劇に登場する歴史人物4「善徳女王」

新羅(シルラ)で、女性として初めて王となった善徳(ソンドク)女王。彼女の父親は、26代の真平王(チンピョンワン)だ。その真平王に息子がいなかったこともあって、善徳女王が即位したのだが、彼女はいったいどんな女性だったのだろうか。

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唐の冷たい対応

新羅の27代王として即位した善徳女王。大きな功績を残しており、国民たちから絶大な人気を誇る女王だった。
三国時代の一大勢力として、新羅は高句麗や百済と激しい争いを繰り返していた。高句麗や百済より優位に立とうと考えていた善徳女王は、中国大陸の大国である唐と友好関係を築こうとした。しかし、唐の対応は「女性が王になっているから周りの国から馬鹿にされるのだ、こちらの王族を送るからその者を王にしたらどうか」という冷たいものだった。
善徳女王は、その申し出を受け入れず、新羅の人材を生かして戦うことを決めて、金庾信(キム・ユシン)という若者を大将軍に任命した。それが644年である。金庾信は見事に女王の期待に応えて、新羅の軍事力を飛躍的に向上させた。
そんな彼女は霊感が非常に強く、2つの予言をしている。その予言に関する逸話を紹介しよう。




1つ目は、百済の兵が攻めてくるのを予言した話だ。
ある夏の日、善徳女王は王宮の西にある池にヒキガエルたちが集まっているのを見た。彼女は、ヒキガエルたちが怒っている表情をしているのに気づいて、「敵が攻めてくる」と予言し、兵に討伐を命じた。
善徳女王の命を受けた新羅の兵たちが出陣すると、そこには500人の百済の兵が隠れていたのである。新羅の兵たちは、油断していた百済の兵たちを急襲して全滅させた。善徳女王の予言により、新羅は危機を逃れることができたのである。
2つ目は、自分の死期を予言した話しだ。
善徳女王が亡くなったのは647年だが、その年に彼女は自分の死期を予言した。実際に善徳女王は、その予言の日に亡くなっている。民衆たちは、名君だった彼女の死をとても悲しんだ。

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