高句麗(コグリョ)・百済(ペクチェ)・新羅(シルラ)が覇権を争った三国時代。その三国に続く勢力を持っていたのが、小国の連合体である伽耶(カヤ)だ。伽耶については史実上、謎が多く、その初代王・金首露(キム・スロ)にしても神話的な要素が強い。歴史的な資料が乏しく、史実と神話の境界があいまいなのだ。金首露はいったどんな王だったのか。
伽耶に落ちた奇跡の卵
彼の生誕にまつわる神話は、次のようになっている。
小さな部族の集合体だった伽耶には、国を統治する王がおらず、9人の部族長たちが地域を治めていた。彼らは毎年3月になると、伽耶の聖地である金海(キメ)にある亀旨峰(クジボン)に民を集め、祭事を行なった。祭事では、みなが天に向かってこう合唱した。
「私たちを統(す)べる王をください」
毎年行なわれるこの行事に天界もうんざりしていた。ある年、いつものように合唱を行なうと、亀旨峰に向かって空から紫色のひもが垂れてきた。ひもの先には赤い絹に包まれた黄金の箱が掛かっていた。その箱を開けると、中には黄金の卵が入っていた。伽耶の民は、最初は驚いたが、すぐに歓声をあげて空から落ちた奇跡の卵を崇拝した。
数日後、卵は孵化し、中から可愛らしい赤ん坊が生まれた。赤ん坊は「金の卵から首を露わにした」という理由で、金首露と名付けられ、王になるように教育された。
成長した金首露は王になると、首都を定め、国の基盤を確立する名君となった。
以上が「金首露伝説」である。その存在の神話性は、王としての在位期間が157年に達している点からもうかがえる。しかし、伽耶そのものは実際に存在し、小国の連合体でありながら、独自の製鉄技術と海上交易で繁栄。三国に対抗する強い勢力を持っていたと見られている。その伽耶も562年、新羅に統合されてしまう。