- Home
- コラム
カテゴリー:コラム
-
秋の韓国旅行を楽しむ1「済州島」
韓国に行きたいと思っていても、なかなか出かけられないのも事実。そこで、せめてサイトの上で韓国の秋を満喫していきましょう。最初は済州島(チェジュド)を楽しみます。 絵画のような景色 アクティブに秋の済州島を楽し… -
白菜のピリ辛サラダを作る!
白菜のシャキシャキ感にヤンニョムの甘辛さがポイント。誰でも気軽に作れるということは、誰が作っても美味しいということ。ほど良い辛さは食欲を刺激してくれるはず。 食欲をそそる辛さが絶妙! ●材料 白菜(葉先だけ使う)10… -
韓国と交流があった土地を訪ねて(第11回/静岡・清見寺2)
1607年、江戸時代に初めて来日した朝鮮通信使には、徳川家康に朝鮮国王の国書を渡すという重要な任務があった。彼ら一行が江戸をめざして東海道を進んで浜松に至ったとき、2年前に将軍職を息子の秀忠に譲った家康が駿府(静岡)にい… -
韓国と交流があった土地を訪ねて(第10回/静岡・清見寺1)
広島の鞆の浦にある福禅寺からの眺めは、朝鮮通信使が「日東第一形勝」と絶賛していた。同じく朝鮮通信使が「東海の名勝」と称賛したのが、清見寺(せいけんじ)から見た駿河湾の景観だった。今はかなり風景が変わってしまったのだが……… -
韓国と交流があった土地を訪ねて(第9回/百済寺跡・鬼室神社3)
百済(ペクチェ)の復興をめざした軍の中で、トップ2の豊璋と福信が内紛を起こした。結局、福信を殺した豊璋はすべての権力を自分のものにしたのだが、軍事的な指導者を失った百済復興軍の痛手は大きかった。そのことが如実に現れたのが… -
韓国と交流があった土地を訪ねて(第8回/百済寺跡・鬼室神社2)
時は660年である。百済(ペクチェ)の義慈(ウィジャ)王は、在位が長くなって堕落した。そんな王のもとで国力が衰えるのも仕方がなく、新羅(シルラ)・唐の連合軍が攻めてきたときに、百済はなすすべがなかった。とはいえ、滅びゆく… -
韓国と交流があった土地を訪ねて(第7回/百済寺跡・鬼室神社1)
大阪と京都を結ぶ京阪電車。車窓からの景色もよく、私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)が好きな私鉄の一つだ。その京阪電車の特急に大阪市内の京橋駅から乗って京都方面に向かうと、最初の停車駅が「枚方(ひらかた)市」である。 百済王神… -
韓国と交流があった土地を訪ねて(第6回/広島・鞆の浦3)
1719年、第9回目の朝鮮通信使に製述官として同行した申維翰(シン・ユハン)は、のちに『海游録』という書物を残している。その翻訳版は、平凡社東洋文庫(姜在彦訳注)に収められていて、それを読むと朝鮮通信使の道中がどんなもの… -
韓国と交流があった土地を訪ねて(第5回/広島・鞆の浦2)
今でも日本の各地に朝鮮通信使の足跡が残っているが、その中でも鞆の浦の福禅寺は特に重要である。なぜなら、一行はここから見た瀬戸内海の景観を愛し、様々な書を残しているからだ。その文面から、当時の朝鮮通信使の人たちの心情を察す… -
韓国と交流があった土地を訪ねて(第4回/広島・鞆の浦1)
私は30代半ばに大学で歴史を学んだとき、卒論で朝鮮通信使の研究をした。その際、江戸時代の鎖国体制を以前から間違って捉えていたことを察した。それまでは、長崎で限定的にオランダと貿易を行なっていただけで、徳川幕府はどの国とも…