仁穆王后の要求
燕山君を追放した1506年の「中宗反正」は、暴政を終わらせたという意味で本当の「反正」であることに間違いありません。
しかし、仁祖は、悪い政治を正すというより個人的な恨みを晴らすために決起しました。光海君の一派によって殺された弟の復讐がクーデターの目的だったのです。つまり、事情は個人的であり、大義はありませんでした。
仁祖にも後ろめたい気持ちがあったのでしょう。クーデターを起こしたとき、西宮に幽閉されていた仁穆(インモク)王后をかつぎだそうとしました。そこで、仁祖は使者を送って仁穆王后に「光海君を追放する号令を出してください」と頼みます。
仁穆王后は父と息子を光海君の一派に殺されています。これまでの恨みが晴れるのだから仁穆王后は喜んで号令を出すと思いきや、むしろ激しく怒りだします。
「この10年、誰も見舞いにこなかった。どれだけ寂しい思いで暮らしていたことか。いまさらやってきて、どういうつもりなのか」
大変な剣幕でした。
あわてた仁祖は自ら西宮に行って、まさに土下座のような形で仁穆王后に何度も詫びを入れて、ようやく機嫌を直してもらいます。このとき、仁穆王后が出した条件が、「光海君の首をはねろ」ということでした。
(次回に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)