奇皇后は何をしたのか(中編)

元の皇帝トゴン・テムルの正室だったタナシルリは、奇皇后に執拗な嫌がらせをした。思い切り鞭で叩いたり、熱した焼きごてを肌にあてたり……。正気とは思えなかった。しかし、タナシルリの横暴も長く続かなかった。

画像=MBC




皇帝の息子を出産

タナシルリの父であったエル・テムルが急死した。
後ろ楯を失ったタナシルリ。2年後には実の兄が実権を握ろうとしてクーデターを起こしたのだが、失敗してしまった。
結局、タナシルリには兄のクーデターに加担したという容疑がかけられ、彼女は宮殿を追放されて命を落とした。
皇后の座が不在となった。トゴン・テムルは真っ先に、寵愛する奇皇后を正室にしたいと思った。
しかし、モンゴル出身以外の女性を正室にすることに高官たちがこぞって反対した。トゴン・テムルはその反対を無視することができず、名門部族出身のバヤン・フトゥクを皇后として迎えた。
そんな最中の1338年、奇皇后はトゴン・テムルの息子アユルシリダラを出産した。これで、トゴン・テムルはますます奇皇后を寵愛するようになった。




皇帝の息子を産んで、奇皇后も強気になった。
もともと欲が深い女性だった。彼女は高龍普と結託して皇室の財政を手中に収め、政治にも介入するようになった。
最終的には政権の人事権を握った奇皇后。同郷の宦官を軍事の最高責任者に任命することで、強力な武力までその手に納めた。
そんな奇皇后が一番願ったのは、わが子のアユルシリダラを皇太子にすることだった。しかし、これは難題だった。
なにしろ、正室のバヤン・フトゥクの目が光っていた。側室に過ぎない奇皇后の息子を皇太子にすることは重臣たちが許さなかった。
しかし、すでに元で権力を握り始めていた奇皇后は、出世欲にかられた重臣たちを1人ずつ取り込み、用意周到に自分の味方を増やしていった。
そして、1353年にアユルシリダラは皇太子に任命された。
順調にいけば、奇皇后が次の皇帝の母になる。この権力は絶大だ。
こうなると、元では高麗王朝の文化や風習が広がっていった。元の高官の多くが高麗風の衣装を着用するようになり、高麗人を妻に迎えることが流行した。




元に大きな影響力を行使する奇皇后。彼女の名声は高麗王朝の政治も大きく動かすようになった。
元は奇皇后の父である奇子敖を栄安王(ヨンアンワン)として追尊した。さらに、奇皇后の兄である二男の奇轍(キ・チョル)と三男の奇轅(キ・ウォン)は、高麗王朝でも王族として認められるようになった。
奇一族は高麗王朝で隆盛をきわめ、政治を牛耳るようになった。しかし、手段があまりに強引だった。
たとえば、他人の土地を強奪して、その住人を強制的に奴婢にするという悪政を行なったのである。
その蛮行はあまりに度が過ぎていた。
(後編に続く)

文・構成=慎虎俊+「韓流テスギ」編集部

奇皇后は何をしたのか(前編)

奇皇后は何をしたのか(後編)

そこにコン・ユがいた1「思い出深いファンミ」




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