1762年5月22日、思悼世子(サドセジャ)が住む東宮で働く羅景彦(ナ・ギョンオン)が「世子が謀反をたくらんでいます」と訴え出てきた。報告を受けた英祖(ヨンジョ)は驚愕し、思悼世子を呼びつけた。
恐ろしい形相
思悼世子が英祖の寝殿に入ってきて前庭で平伏した。
英祖は思悼世子を叱りつけた。
「お前は本当に、王の孫の母(思悼世子の子供を産んだ側室をさしていると思われる)を殺したり、宮中を抜け出して遊び歩いたりしているのか。世子なのに、どうしてそんなことができるのか」
荘献はただ地面に伏してうなだれているしかなかった。
英祖の怒気を含んだ言葉が続く。
「側近の者たちが余に何も知らせなかったが、もし羅景彦がいなかったら、余がどうやってそれを知ることができたのか。王の孫の母は余も大変気に入っていたのに、どうして殺したりしたのか。こんなことをしていて、国が滅びないとでも言えるのか」
英祖は恐ろしい形相だった。
英祖の叱責を受けて、思悼世子はひたすら許しを願った。
しかし、英祖はあっさりと突き放した。
「もう、よい。すぐにここを立ち去れ!」
きつく言われた思悼世子は仕方なく寝殿の外に出て、むしろを敷いてその上に平伏して待機した。
その後、再びおそるおそる英祖の前に出てきた思悼世子が見たのは、刀をふりかざして怒りまくっている父の姿だった。
思悼世子は頭を地面にこすりつけた。
「許してください。もう二度と意にそぐわないことはいたしません」
思悼世子はひたすら詫びたが、英祖は突き放して言った。
「自決せよ」
「今ここで自決するのだ」
思悼世子は英祖から自決を命じられた。
それは、実の父親とは思えないような冷酷な言葉だった。
英祖は意地になって、さらなる厳命を下した。
「たったいま世子を廃したのだが、史官はちゃんと聞いていたのか」
史官といえば正式な記録を残す官僚である。英祖は、自分の言葉を正式な文書に残すことをはっきりと要求した。
思悼世子はさらに英祖の前で許してもらえるように哀願した。
すると、英祖は驚くべきことを話し始めた。
「映嬪(ヨンビン/英祖の側室で思悼世子の実母)が余になんと言ったと思う? そなたがいかに世子にふさわしくないかを泣きながら訴えてきたのだ。もはやこれまでだ。そなたが自決しないかぎり、この国は安泰とならない」
それでも必死に思悼世子は命乞いをした。
「お願いです。命だけは助けてください」
英祖はそれを聞かずに息子を米びつに閉じ込めた。こうして思悼世子は餓死させられたのである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)