朝鮮王朝時代は身分制度が厳格であり、両班(ヤンバン)のような上流階級の屋敷では、身分が低い人たちが様々な雑役を担っていた。そうした人の中で、特にお茶に関する仕事をしていたのが茶母(タモ)である。
事件の捜査の補助的な仕事
現代韓国で茶母の存在が知られるようになったのは、人気を博した『チェオクの剣』の影響である。このドラマでは、茶母が主人公になって大活躍していた。
同じように、『オクニョ 運命の女(ひと)』でも茶母が登場する。そこで、歴史的な茶母の存在理由を見てみよう。
上流階級の屋敷で茶母の仕事をしていた女性は、水汲みなどの単純作業だけをしている人に比べると、仕事ぶりも相応に評価されることが多かった。
そうした茶母の中から特別に頭が良さそうな人を選んで、事件の捜査の補助的な仕事をさせることがあった。それは、朝鮮王朝時代に儒教が国教になっていたことと大いに関係していた。
朝鮮王朝時代の社会に浸透していた儒教は、男尊女卑の風潮が強かった。同時に、男女が気軽に交流することを厳しく戒めた。つまり、「男女七歳にして席を同じにしない」というわけだ。
こうなると、専門的な仕事の面で男性だけでは対応できない場合があった。
たとえば、医者がそうである。
当時の女性は、男性の医者の診察を受けることを嫌がった。特に、女性の患者は男性の医者に肌をさわられることを嫌悪したのだ。
そうした理由で、医者の診察を受けずに病状を悪化させる女性が多かった。
結果的に医女の必要性が高まり、歴史的にも長今(チャングム)のような女性医師が登場するようになった。彼女の存在は『宮廷女官 チャングムの誓い』が大ヒットして現代韓国でも広く知られるようになったが、長今はまさに儒教社会の倫理観の中から生まれた医女なのである。
医者の世界と同じことが、事件の捜査の現場でも起こっていた。
刑事に該当する人が男性ばかりだと、女性の容疑者を徹底的に取り調べることがとても難しかった。
しかも、当時は女性たちが男性とはまったく違う世間を形成していたために、男性だけでは捜査に限界があった。
そこで、男性の捜査官を補助する女性が必要になったのだ。その助手の役を茶母が引き受けることが多く、やがて「茶母」は女性刑事の代名詞にもなるほどだった。
彼女たちは「女の世界」に飛び込み、女性ならではの勘で容疑者を取り調べていった。これは、男性の捜査官では絶対にできないことであった。
このように、茶母という存在は、厳格な儒教社会であればなおさら必要になっていったのである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)