9代王・成宗は王としては多くの偉業を残した。しかし、女好きがたたり、多くの問題も起こしている。その筆頭が廃妃(ペビ)・尹氏(ユンシ)との問題だ。果たして、それはどんなことだったのだろうか。
成宗の正室となった尹氏
成宗(ソンジョン)は12歳で即位すると同時に、7代王・世祖(セジョ)の功臣だった韓明澮(ハン・ミョンフェ)の娘を妻に迎えた。これは、彼の母である貞熹(チョンヒ)王后が仕組んだ結婚であり、成宗は妻を愛することができなかった。
結果的に、成宗の妻はわずか18歳でこの世を去った。彼女との間に後継者をもうけられなかった成宗は、次に美しい容姿を持つ尹氏を正室として迎えた。彼女は成宗の希望どおり男子を産んだ。
この子供こそが後の暴君となる燕山君(ヨンサングン)である。
もとから嫉妬深くわがままだった尹氏は、後継者を産んでどんどん傲慢になっていった。彼女は成宗に近づく側室たちに、執拗な嫌がらせを繰り返した。そのため、彼女の評判は最悪だった。
尹氏の横暴に耐えられなくなった側室たちは、成宗の母だった仁粋(インス)大妃に助けを求めた。仁粋王后は、成宗を呼びつけると、尹氏の悪行を追及し、少し距離を置くように話した。
母親の助言を無視することができない成宗は、次第に尹氏に会う頻度を減らしていった。しかし、自尊心の高い尹氏には、そうした状況はとても我慢ができなかった。
最後には、自分の部屋の中に呪いの言葉の書かれた本と毒薬を持ちこみ、側室たちに対して呪いの儀式を行なおうとした。しかし、その企てはすぐに成宗の耳に届いてしまう。
朝廷の掟を破る尹氏を厳しく処罰した成宗。しかし、彼は2人の間に生まれた息子を後継者に指名した。
成宗は尹氏が王の母になることを伝えようと、彼女の元を訪ねた。しかし、尹氏は精神をひどく病んでおり、成宗を見るや顔にひっかき傷をつけてしまう。
尹氏は廃妃にされて王宮から追放された後、1482年に死罪となった。毒薬を飲み激しく吐血する彼女は、血で濡れた布を母に渡し、「この布をいつか息子に……」と言うと息を引き取った。
尹氏の死は息子の燕山君には徹底的に隠された。
しかし、この秘密を燕山君が知ったとき、朝鮮王朝は最悪の展開を迎えることになった。燕山君は母の死に関係した者たちをことごとく虐殺したのだ。