誠実な王妃が悪女のはずがない?

朝鮮王朝には王妃が42人いたが、典型的な悪女だったのが文定(ムンジョン)王后と貞純(チョンスン)王后だ。2人は権力を握って悪行を繰り返した。こうした悪女と正反対で、一番の聖女と言われた王妃は誰だったのか。





洪国栄の野望

傑作時代劇『イ・サン』の主人公にもなった22代王・正祖(チョンジョ)。彼が側近として一番頼りにしたのが洪国栄(ホン・グギョン)だった。この洪国栄は『イ・サン』の後半によく登場した。
実際の洪国栄も非常に有能で、国政をまかせるに足る逸材だった。そのことを正祖はよく知っていたので、何か新しいことを始める度に洪国栄に担当させた。そうした期待に洪国栄もよく応え、正祖の信頼はますます強まった。結果的に、洪国栄は政策の立案・実行から軍部の指揮まで様々な部署の責任者を歴任した。
やがて洪国栄は、実質的に“王に次ぐ最高実力者”の地位に上がった。どんな上奏も洪国栄を通さないと正祖のもとに届かない状況となった。
「洪国栄を怒らせたら生きていけない」
ずっと年上の高官ですら、洪国栄を畏怖するようになった。
今や、出世を願う官僚たちが洪国栄の前で卑屈に列を成した。そんな身分に祭り上げられた末に、洪国栄の欲望に際限がなくなった。彼はさらなる大望をかなえようと策を弄し始めた。




洪国栄が目をつけたのが、正祖の正妻である孝懿(ヒョイ)王后に子供がいないことだった。
この孝懿王后を『イ・サン』ではパク・ウネが演じていた。
孝懿王后は病弱だったので、子供を産める可能性が低かった。
洪国栄は自分の妹を正祖の側室として宮中に送り込んだ。それが元嬪(ウォンビン)・洪(ホン)氏である。
「なんとしても殿下の子供を産め」
洪国栄は妹に厳命していたが、なんでも自分の思いどおりになるわけではない。不幸なことに、元嬪・洪氏は側室になって1年ほどで子供を産まないまま亡くなってしまった。実の妹があまりに突然に世を去り、洪国栄は自責の念にかられた。
「俺が妹を宮中に送り込んだばかりに……」
哀れな妹を思って、洪国栄は号泣した。
やがて涙が涸(か)れてくると、彼の心に疑念が生まれた。
「なぜ、あんなに元気だった妹が突然死んだのか。もしや……」




疑念はどんどんふくらみ、やがて一人の女性に行き当たった。
「中殿(孝懿王后)の指図によって毒殺されたのでは……」
一度そう思うと、その疑念は強迫観念となって洪国栄の心を苦しめた。次第に洪国栄は逆恨みをして、孝懿王后が妹を殺害した黒幕だと決めつけるようになった。
<仇(かたき)をとる。同じように毒殺してやる>
思い詰めた洪国栄は孝懿王后の食事に毒を盛ろうとした。すでに彼は有能な重臣の面影もなかった。結局、王妃殺害計画が発覚して窮地に陥った。
正祖は改革の担い手として洪国栄に大きな期待を寄せていたのだが、おぞましい計画が露見するに至って、完全にこの男を見限った。
とはいえ、死罪にするのは忍びなかった。
すっかり人格が変わってしまったが、かつては功績の多い側近であった……そのことを考慮して、正祖は洪国栄を地方に追放するだけにとどめた。それは1780年2月のことだった。
普通に考えれば、孝懿王后が側室の暗殺をはかるわけがなかった。




なにしろ、彼女は謙虚でとても温厚な性格で知られていたのだ。誰からも尊敬される人徳を備えていた。
また、正祖の祖母となる貞純王后や母である恵慶宮(ヘギョングン)に心から礼を尽くした女性だった。
まさに、朝鮮王朝の王妃の中で一番の聖女であった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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