貞明公主とは誰だったのか10「晩年」

20歳までの貞明公主は薄氷の上をおそるおそる歩くような日々を過ごした。そんな境遇に耐えたあとは、とてつもない土地を所有する大地主になった。まさに、彼女の人生は波瀾万丈だった。

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邪険にされた王女

1603年に生まれた貞明公主は、5歳までは国王の正室が産んだ王女として大切に育てられた。
しかし、1608年に父の14代王・宣祖(ソンジョ)が亡くなった後には、異母兄の光海君によって庶民の身分に降格させられ、西宮(ソグン)に幽閉されて苦難の日々を過ごした。
1623年に仁祖が光海君を王宮から追放すると、母の仁穆王后と一緒に貞明公主の幽閉は解かれ、以後は結婚もして大地主になった。
それなのに、仁穆王后が1632年に世を去ると、仁祖によって邪険にされ、呪詛(じゅそ)の疑いをかけられて二度にわたって処罰されそうになった。
仁祖の即位に貢献した功臣たちによって弁護され、貞明公主は処罰をまぬがれることができた。
しかし、手のひらをひるがえした仁祖に対しては不信感が募った。光海君の統治時代ほどではないが、仁穆王后にとっては、針のむしろに座らされているような日々が続いたのである。




偏屈な仁祖は1649年に世を去り、それ以後の貞明公主は平穏な日々を過ごした。歴代の王が丁重に応対してくれたおかげで、王族の長老女性として自尊心を保って暮らすことができた。
夫の洪柱元(ホン・ジュウォン)との間では、7男1女を育てた。息子たちはそれなりに出世して家門を高めた。
1672年に洪柱元は66歳で亡くなったが、その後も貞明公主は夫を供養しながら穏やかな日々を過ごした。
1682年に貞明公主は79歳になった。
自分に残された日々が少ないことを悟ったのだろう。貞明公主は、遺言とも受け取れる文を息子に贈っている。
それは次のような内容だ。
「私が願うのは、お前たちが他人の過ちを聞いたときに、まるで父母の名前を聞いたときのように耳だけにおさめて、口では言わないということだ。他人の長所や短所を取り上げるのが好きだったり、政治や法令を途方もなく言い争ったり……そんなことはとても憎むべきことである。




さらには、死んだあとであっても、子孫の間でそんな行ないが起こったということは聞きたくない」
この文を読めば、貞明公主がどういう人であったかがよくわかる。
国王の思惑に翻弄された人生。その中で数々の苦難を経てきた貞明公主は、息子たちに
「人の過ちに寛容であること」「人の道にはずれないこと」「一族が仲良く暮らすこと」を言い含めている。
残された文からは、心が広い女性の姿が想像できる。
その貞明公主は1685年に亡くなっている。
享年は82歳。朝鮮王朝の数多い王女の中でも特別なほど長寿であった。
弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)はわずか8歳で光海君(クァンヘグン)の一派に殺されている。
そんな弟の分まで貞明公主はしっかり生きたのである。
(終わり)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

貞明公主とは誰だったのか1「誕生」

貞明公主とは誰だったのか2「悲劇」

貞明公主とは誰だったのか9「善行」



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