韓国と交流があった土地を訪ねて(第3回/埼玉・高麗3)

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代々の宮司が住んだという高麗氏住宅

また、関東武士の祖をたどっていけば、そこには武蔵国の高麗郡の影響も見られるという。歴史の広がりは、人間の想像力が及ばないほどである。
その高麗郡だが、明治初年の頃には、今の日高市と鶴ヶ島市の全域と、飯能市、入間市、狭山市、川越市の一部にまたがる広い地域だった。




それが、明治29年(1896年)に入間郡と合併されて、その名が消えた。けれど、村の名前には残っていて、高麗村と高麗川村があったが、それも1955年に合併して日高町になった(1991年に市に移行)。ここに地名としての高麗は消えたが、川、駅、神社の名として残った。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

韓国と交流があった土地を訪ねて(第1回/埼玉・高麗1)

韓国と交流があった土地を訪ねて(第2回/埼玉・高麗2)

韓国と交流があった土地を訪ねて(第4回/広島・鞆の浦1)




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