母として本望
なぜ、明聖王后の死は無駄ではなかったのか。
それは、彼女が亡くなった直後に粛宗が奇跡的に回復したからである。いわば、明聖王后は息子の身代わりになったのだ。
母として本望であったかもしれない。
ただ、その死は結果的に1人の女性を宮中に復活させることになってしまった。
それは、張禧嬪である。
彼女は、明聖王后が存命であれば粛宗に近づくことができなかったのだが、その障害がなくなった。
母から溺愛された粛宗は、百戦錬磨の張禧嬪からすれば、色香で惑わすのがたやすい相手だったことだろう。
かくして、韓国時代劇でよく取り上げられる男女の愛憎劇が、17世紀末の王宮を舞台に派手に繰り広げられることになっていく。
文=康 熙奉(カン ヒボン)