中宗は端敬王后(タンギョンワンフ)をなぜ守れなかったのか?

元王妃としての日々

端敬王后は、家の裏の岩山に、かつて自分が身につけていた赤いチマ(スカート)を干した。
それは、元気に暮らしていることを中宗に知らせるためだった。
この逸話は「赤いチマ岩の伝説」と呼ばれ、韓国でも夫婦愛をあらわす際によく使われている。
中宗が端敬王后を離縁したのは1506年で、それから38年後の1544年に中宗は危篤に陥った。
このとき、端敬王后は中宗を見舞おうとしたのだが、結局はそれができなかった。つまり、2人は1506年以降、一度も会うことができなかったのだ。
端敬王后が亡くなったのは1557年である。




享年70歳だった。
離縁させられたときが19歳だったので、その後は元王妃として51年も過ごしたのだ。「7日間」と比べると、とてつもなく長い歳月だ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

『七日の王妃』の端敬王后(タンギョンワンフ)はなぜ七日で廃妃になった?

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端敬(タンギョン)王后の復位を強硬に反対したのは誰なのか

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