非常に偏屈な王
今度は史実の世界に戻ってみよう。
英祖には思悼世子を許す気持ちが毛頭なかった。息子を米びつに閉じ込めた翌日の1762年閏(うるう)5月14日に、宦官の朴弼秀(パク・ピルス)と尼僧の假仙(カソン)を処刑している。2人は思悼世子をそそのかした罪に問われたのだ。
他にも思悼世子と遊興した妓生(キセン/宴席で歌や踊りを披露する女性)の5人が処刑されている。
本当に哀れなのは妓生たちである。彼女たちは仕事で思悼世子の宴席に出ていただけなのに、完全にとばっちりを受ける形になった。
罪もなき彼女たちを処刑するほど、英祖の思悼世子に対する怒りは強かった。
それは、米びつに閉じ込めてから6日経った閏5月19日になっても同様だった。この日になって、英祖は思悼世子を補佐していた側近のほとんどを罷免した。これは思悼世子を絶対に許さないということを明確に示したものだった。
この時点で思悼世子の生死はどのようになっていたのだろうか。
食料も水も与えられず狭い空間に閉じ込められたままの思悼世子は、まだ生きていたのかどうか。それは誰にもわからないことだった。
結局、思悼世子が米びつの中で息絶えているのがわかったのは閏5月21日のことで、閉じ込められて8日目だった。
世子ともあろう人が、いつ亡くなったのかも確認できないのである。あまりにむごい死に方だった。
思悼世子が亡くなったという知らせを受けた英祖は、息子を米びつに閉じ込めた張本人でありながら、急に深い哀悼の意を表した。「どうして30年近い父と子の恩義を感じないでいられるだろうか」と言って嘆いたのだ。
しかし、すでに遅かった。そんなに息子を哀悼するなら、生きているうちに米びつから出してあげるべきだった。
英祖は非常に偏屈な王であった。その性格が餓死事件を生んでしまったのだ。
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