『不滅の恋人』が描いた歴史の真実は?

『不滅の恋人』では2人の王子の対立が描かれるが、そのモデルとなっているのが首陽(スヤン)大君と安平(アンピョン)大君だ。歴史的に結末がどうなったのかを見ていこう。





競争心が強かった

朝鮮王朝の最高の名君と称される4代王の世宗(セジョン)。
彼の長男は5代王となった文宗(ムンジョン)だが、その下に二男の首陽大君と三男の安平大君がいた。
世宗は、首陽大君と安平大君の二人に重要な仕事をまかせた。天文観測やお経の翻訳、世宗の陵の場所を決めることなど、国家の重要事業を二人が一緒に管理するようにしたのであった。
世宗の晩年には、王命を伝えることも二人がやっていた。王家の中でも重要な位置にいる大君(正室が産んだ王の息子)たちの一人に一方的に権力が偏ると、後に王権の脅威になると考えた配慮だった。
長く一緒に政治に参加していた二人だったが、兄弟愛よりも競争心が強かった。
武人的な資質を持っていた首陽大君に対して、安平大君は詩、書、画に長けた芸術家だった。




特に書は中国までその名がとどろき、彼の書がほしいと願う人が多いほどであった。それだけに、安平大君の自負心も兄である首陽大君に負けなかった。
二人の大君の力が大きくなるにつれて、彼らのまわりには人が集まり始め、彼らがライバル的な関係になると、王宮では首陽大君派と安平大君派ができて、対立するようになっていった。
1450年に文宗は世宗の王位を継いだが、わずか2年で亡くなった。
文宗の長男であった端宗(タンジョン)が6代王となった。
しかし、まだ11歳だったので、後見人が必要だった。その筆頭が重臣の金宗瑞(キム・ジョンソ)である。
金宗瑞を含む大臣たちは、王位に野心を燃やす首陽大君を牽制するために安平大君を頼った。なにしろ、巨大な力を持っている首陽大君の存在は脅威であり、対抗できる存在は安平大君しかいなかった。
大臣たちに支えられて安平大君は兄の首陽大君を越えるほどの勢いを得た。このように宮廷の力が安平大君に集まっていたが、それでも首陽大君は虎視眈々と王位強奪の機会をうかがった。




安平大君と金宗瑞が迂闊(うかつ)だったのは、「首陽大君が父である世宗の意思にそむいて甥の端宗から王位を奪う」とは考えていなかったことだ。
しかし、現実は違った。
首陽大君は1453年にクーデターを起こして、金宗瑞と同調する大臣たちを排除した。その上で、安平大君を反逆の首謀者に仕立てあげた。
結局、安平大君は流罪にされた末に死罪となった。
無情にも弟の安平大君の命を奪った首陽大君。彼が甥の端宗を退位させて自ら王になったのは、安平大君が世を去って2年後のことだった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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