謎多き最期
1827年、18歳になった孝明世子は、高い知性と政治感覚をもつ人物に成長した。 息子の能力を高く評価した純祖は、孝明世子に政治を代行させるなど多大な期待をかけるが、母である純元王后の心境は複雑だったことだろう。
孝明世子が才能を発揮するほど、安東金氏の勢力が弱体化していき、息子の妻の一族である豊壌趙氏の力が大きくなるからだ。
母と妻。両者の間に立つ孝明世子の立場は厳しかった。
そうした心労がたたってか、孝明世子は1830年に21歳で世を去ってしまう。孝明世子の死によって、豊壌趙氏の影響力は弱まり、朝鮮王朝は再び安東金氏が権力を牛耳る時代に戻ってしまう。王の代理として善政を行なっていた孝明世子の早すぎる死に、多くの民が涙したと言われている。
ちなみに、孝明世子の死因は現在も判明していない。幼少時から病弱だったことから、病に倒れたという説が有力だが、なかには「安東金氏による毒殺」という説まである。
『雲が描いた月明り』では、史実での孝明世子のように、民のための王になろうとするイ・ヨンの姿が描かれる。
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