tesugi一覧

  • 韓国時代劇に登場する歴史人物2「金首露」

    高句麗(コグリョ)・百済(ペクチェ)・新羅(シルラ)が覇権を争った三国時代。その三国に続く勢力を持っていたのが、小国の連合体である伽耶(カヤ)だ。伽耶については史実上、謎が多く、その初代王・金首露(キム・スロ)にしても神…
  • 韓国時代劇に登場する歴史人物1「広開土大王」

    高句麗(コグリョ)の旧都・国内城(クンネソン)があった中国の集安(チバン)市に行くと、高さ6・39m、重さ37トンのとても大きな碑石を見ることができる。この碑石で讃えられているのが、高句麗19代王・広開土大王(クァンゲト…
  • 白菜のピリ辛サラダを作る!

    白菜のシャキシャキ感にヤンニョムの甘辛さがポイント。誰でも気軽に作れるということは、誰が作っても美味しいということ。ほど良い辛さは食欲を刺激してくれるはず。 食欲をそそる辛さが絶妙! ●材料 白菜(葉先だけ使う)10…
  • 朝鮮王朝時代の儒教とは何か

    1392年から1910年まで続いた朝鮮王朝では、国教として儒教が絶大な影響力を誇った。この場合の儒教というのは、具体的に言うと朱子学であった。この朱子学の倫理観が朝鮮王朝の価値観を決定づけていたと言っても過言ではない。 …
  • 日韓の間にこんな交流があった25/善隣関係の終焉

    朝鮮通信使の招聘に消極的だった松平定信が政治の表舞台から去っても、招聘問題は進展しなかった。朝鮮王朝は徳川幕府に不信感を持ち、あえて使節を派遣しようと思わなかった。こうして空白期間は延々と続き、気がついてみれば朝鮮通信使…
  • 日韓の間にこんな交流があった24/途絶えた交流

    1764年に江戸時代で11回目にあたる朝鮮通信使の来日があったが、以後はまったく途絶えてしまった。そこには一体、どんな事情があったのだろうか。 松平定信の意向 徳川将軍が代わる度に幕府が対馬藩を通して朝鮮通信…
  • 日韓の間にこんな交流があった23/雨森芳洲と申維翰

    1607年に始まった江戸時代の朝鮮通信使。17世紀には合計で7回も朝鮮通信使が来日している。徳川幕府の創設者の家康と基盤を磐石にした家光。この2人の大物将軍が朝鮮王朝との善隣関係に力を注いだことが17世紀の両国の蜜月につ…
  • 日韓の間にこんな交流があった22/朝鮮通信使

    朝鮮通信使が来日した年を見てみると、順に1607年、1617年、1624年となっている。この3回の来日は、戦時中に日本に連れて来られた人々を帰国させることが主たる目的になっていて、「刷還使」という役割を担っていた。 […
  • 日韓の間にこんな交流があった21/善隣関係の復活

    徳川幕府が朝鮮王朝との外交関係の再開を申し出ると、朝鮮王朝は最終的に2つの条件を対馬藩に通達した。1つは徳川家康自らが国書を提出して関係修復を願い出ることで、もう1つは、先の戦で王家の陵墓を荒らした犯人を突き出すことだっ…
  • 日韓の間にこんな交流があった20/国交回復の動き

    1598年11月、最後に島津軍がかろうじて対馬にたどりつき、豊臣軍は完全に日本に引き揚げてきた。7年近くにわたった戦乱の影響はあまりにも大きかった。朝鮮半島は荒廃し、多くの人命が奪われた。 窮地に陥った対馬 …

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