朝鮮王朝の10代王・燕山君(ヨンサングン)と11代王・中宗(チュンジョン)は、韓国時代劇によく登場する王であり、知名度も高い。この2人の父親は9代王・成宗(ソンジョン)だが、母親がそれぞれ違っている異母兄弟だ。
燕山君の悪行
9代王・成宗は、朝鮮王朝の法律を整備した王として名君の評価を得ている。その一方で、女性問題で多くの火種を残した王でもあった。
彼の二番目の正室は尹(ユン)氏だが、彼女は何度も不祥事を起こしている。
1つは、成宗の側室を呪い殺そうと画策したことだ。
もう1つは、成宗の顔をおもいっきり引っかいてたくさんの傷をつけてしまったことだ。大変な不敬罪となった。
結局、尹氏は朝鮮王朝で初めての廃妃(ペビ)となり、実家に戻された末に死罪となっている。
その尹氏が産んだ成宗の長男が燕山君である。
彼は、成宗が1494年に亡くなった後、18歳で即位している。酒池肉林に明け暮れて悪政を続けた暴君としてあまりに評判が悪い。燕山君はまた、後に母の死罪を知ると、それに関わった官僚たちを大虐殺した。
成宗が尹氏を廃妃にした後、新たに迎えた正室の貞顕(チョンヒョン)王后が産んだ王子が中宗である。
燕山君と中宗の年齢は12歳も離れていた。これだけ離れていると、一緒に遊んだ経験がないのも仕方がないことだ。
しかも燕山君は、自分の母親が廃妃になって中宗の母親が新たな正室になったことを恨んでいた。
そういう因縁もあり、燕山君は中宗のことを何かにつけていじめ抜いていた。弟にとってはもっとも嫌いなタイプの兄だったのだ。
結果的に、中宗は小さいころから燕山君をとても恐れた。その恐怖感が頂点に達したのが1506年であった。
この年に、悪政に耐えられなくなった高官たちがクーデターを起こして、燕山君は王宮から追放された。
そのときに、クーデター軍が新たな王として、満を持して擁立(ようりつ)したのが中宗であった。
中宗は、クーデター軍が自分を迎えに屋敷まで来たとき、「兄が自分を殺すために兵士を送ってきた」と勘違いして、「もはや、これまで」と自害しようとした。それほど、燕山君のことを恐れていたのである。
しかし、事情がはっきりわかると、今度は自分が王に擁立されることを断固拒否した。中宗は「兄に代わって王になることなんて絶対にできない」と言った。もし兄に代わって王になれば、いずれどんな仕返しをされるかわからなかったからだ。
腹の底から燕山君を恐れていたのが、異母弟の中宗であった。
度重なる説得によって、ようやく中宗は王になる決心をしたのだが、それでも彼はずっと生きた心地がしなかった。「いつ兄に復讐されるか」と震えていた。
燕山君は、流罪先の江華島(カンファド)で廃位後数カ月で息絶えた。その知らせを受けて中宗は何を思ったのか。
彼はようやく熟睡できるようになったのではないか。
文=康 熙奉(カン ヒボン)