短命な親子
純祖は国王として存在感が薄かった。
その純祖の妻の純元(スヌォン)王后(1789~1857年)は、実家の安東・金氏が重職を独占する際に重要な役割を果たした王妃であった。
『雲が描いた月明り』ではイ・ヨンの実母は若くして亡くなったことになっていたのだが、実際に孝明世子の母であった純元王后は、長い期間にわたって権力をほしいままにした。
このあたりが、ドラマと史実では大いに違っていた。
なお、孝明世子の長男だったのが、24代王になった憲宗(ホンジョン/1827~1849年)であった。
即位したときにわずか7歳であったために、祖母の純元王后が代わって政治を取り仕切った。
結局、憲宗は祖父の純祖と同様に「お飾りの国王」にすぎず、1849年に政治的業績を残せずに急死してしまった。
亡くなった年齢は父の孝明世子が21歳で息子の憲宗が22歳。あまりに短命な親子であった。
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