たった一度の出会い
貞純王后は、キリスト教徒に政敵が多いという理由でキリスト教徒の大弾圧を行なった。このとき、丁若鏞の親族にキリスト教徒が多いという理由で彼は流罪となり、都から追われてしまった。
しかし、その不遇の時代に丁若鏞は学者として優れた業績を残し、数々の名著を書いている。
言ってみれば、丁若鏞が朝鮮王朝最高の実学者と呼ばれているのも、流罪のときに執筆に専念できたからなのであった。
人間、何が転機になるかわからない。
その後、罪を許されて丁若鏞は都に戻ってきたのだが、様々な政変の中で波瀾万丈な人生を送った。最終的には、漢方薬に関してすばらしい見識を持っており、医者としても能力を発揮している。
なお、『雲が描いた月明り』では、パク・ボゴムが演じたイ・ヨンとアン・ネサンが演じた丁若鏞は、頻繁に会ってお互いに意見の交換を行なうのだが、2人が本当に会ったのはイ・ヨンこと孝明世子(ヒョミョンセジャ)が重病に陥って床に伏せているときだった。
王族に仕える侍医たちでは手の施しようがなくなり、丁若鏞に診察を願ったのである。
1830年5月5日、丁若鏞は孝明世子を診察したが、もはや助かる見込みはなかった。それでも丁若鏞は最善を尽くそうと思い、自分のところにある薬を取り寄せようとしたのだが、使いの者が来る前に孝明世子は5月6日に亡くなってしまった。
孝明世子にしてみれば、最期に当代随一の丁若鏞に診てもらったのが、せめてもの慰めだったかもしれない。