天才型の統治者
孝明世子の手腕は見事であった。
彼はもともと詩作に優れていたが、その感受性の豊かさは人事面でも発揮された。孝明世子は自分が政治をうまく動かせるように臣下たちを適材適所に配したのである。
さらに孝明世子の手腕で特筆すべきは、宮中行事を改善して冠婚葬祭の典礼を完璧に整備したことだ。朝鮮王朝は儒教を国教にしているので、先祖に対する祭祀は最重要な儀式に位置づけられていた。そうした祭祀においても孝明世子は自ら先頭に立って礼楽を整えたりした。
代理聴政を始めて短い期間に孝明世子は次々に実績を作っていった。民衆のために刑罰を改めたりもした。彼の統治が続けば、朝鮮王朝は様々な面で改革の成果を見せたことだろう。
しかし、孝明世子の最大の課題は健康問題であった。彼は1830年閏4月に急に喀血し、5月に亡くなってしまった。
享年は21歳である。
代理聴政をした期間はわずかに3年間だった。あまりに短いと言わざるをえない。しかし、その期間になし遂げた業績も多い。
「孝明世子が長生きしていたら朝鮮王朝は大きく変わっていただろう」
そう口にする人が多かったことも孝明世子の優秀さを表している。
彼は天才型の統治者であったが、寿命だけはどうすることもできなかった。