936年に朝鮮半島を統一した高麗(コリョ)王朝は、14世紀の後半でも健在だった。しかし、仏教国家の優遇策で政治的に権力を持った仏教僧侶が国政に介入して、国内が混乱していった。その中で、異民族の撃退などで頭角を現したのが武将の李成桂(イ・ソンゲ)だ。
高麗王を追放
1388年、中国大陸では元に代わって明が覇者となっていく。その明と高麗王朝が国境の領土をめぐってもめた。
高麗の王は「けしからん!」と怒り、出兵を決意したが、李成桂は「小さい国が大きい国に逆らってはいけません。それに今は若者が農作業で忙しく、梅雨の時期ですので、湿気で鉄器がさび付いてしまいます」と様々な理由をつけて反対する。それでも王は強制的に李成桂を司令官として出兵させた。
李成桂は嫌々出陣した。
鴨緑江(アムノッカン)の中州の威化島(イファド)まで来たが、梅雨の時期のために川が増水して、それ以上は渡れなくなった。迷ったあげくに彼は軍を引き返すことを決断した。
王命に逆らっているわけなので、戻っても処罰されるのは必至。そこで彼は都の開京(ケギョン/現在の開城〔ケソン〕)を攻めて、王を追放する。自分が大軍を率いていたので、それができたのである。
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