王妃の歴史実録12/まさに女帝だった仁粋大妃の人生/前編

仁粋大妃は、9代王・成宗(ソンジョン)の母親です。ドラマ『王と妃』(1998年制作)では女優チェ・シラが扮しました。2012年に韓国で評判になったドラマ『インス大妃』も同じチェ・シラが演じています。





王の母

仁粋大妃は、7代王・世祖(セジョ)の長男だった懿敬(ウィギョン)の妻でした。ここでは実家の姓である韓氏(ハンシ)と呼びましょう。懿敬は19歳で突然亡くなり、韓氏は20歳で息子が2人に娘が1人いる若い後家になってしまいます。責任感もあったのでしょう。韓氏は子供たちをとても厳しく育てます。それは舅と姑であった世祖と貞熹(チョンヒ)王后が驚くくらいの厳しさだったそうです。
世祖が亡くなり、その二男が8代王・睿宗(イェジョン)になりますが、彼もまた19歳で亡くなってしまいます。本来なら、睿宗の息子たちが王位を継ぐはずなのですが、先に亡くなっている懿敬の息子のほうに王位が戻っていきます。その際に強い影響力を発揮したのが貞熹王后でした。
彼女は、夫の世祖が王位を狙ったクーデターの決起を迷っていたとき、ハッパをかけて送り出すくらい強気な妻で、自分でも政治力を発揮しようという野心がありました。そんな彼女が頼りにしたのが、亡き夫の側近だった韓ミョンフェです。韓ミョンフェは策士として世祖のクーデターを成功に導いた人物です。その功績で大出世していて、娘を王族に嫁がせています。実は、韓氏の二男の嫁は、韓ミョンフェの娘でした。




睿宗が亡くなったあと、貞熹王后と韓ミョンフェの2人は、自分たちにとって誰が王になるのが一番良いのか策略をめぐらせます。答えはわかりきっています。それは、貞熹王后の孫であり、韓ミョンフェの娘の夫であった男子(韓氏の二男)です。彼が9代王・成宗(ソンジョン)として即位しました。それにつれて、韓氏は王の母になったわけですから、ここで名実ともに仁粋大妃となりました。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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