『オクニョ』の歴史解説8「典獄署」

ドラマの中でチン・セヨンが演じたオクニョは、典獄署(チョノクソ)で生まれて育ったことになっていた。それだけに、典獄署は、『オクニョ 運命の女(ひと)』でとても重要な舞台であった。この典獄署とは、果たして何であろうか。

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典獄署は刑曹に所属していた

朝鮮王朝時代に、行政の最高機関のことを「議政府(ウィジョンブ)」と言ったが、この議政府には6つの官庁があった。これを六曹(ユクチョ)と呼んだ。
六曹の1つが刑曹(ヒョンジョ)であり、法務全般から刑罰までを仕切る官庁だった。この刑曹に所属する役所の1つが典獄署だ。
それでは、典獄署では何をしていたのか。
罪を犯した囚人たちを拘束すると同時に、裁判によって決まった刑を執行する役目を負っていたのである。
現代に置き換えれば、典獄署は刑務所と同じである。
よって、典獄署の建物には多くの囚人たちが収監されていた。
この典獄署で実務を担当していた役人のトップは主簿(チュブ)と呼ばれていた。品階は従六品であった。
刑曹の場合、トップの判書(パンソ/大臣に相当する)の品階は正二品である。それと比べると、主簿の従六品は品階が高いとは言えない。つまり、非常に重要な役割を果たす役所であったが、典獄署の行政上の位置づけはそれほど高くはなかったのである。




なお、典獄署で主簿の下の役職は奉事(ポンサ)であり、品階は従八品だった。
さらに下は参奉(チャムボン)で、品階は従九品であった。
その他に、書吏(ソリ)4人と、羅将(ナジョン)30人が役職を与えられていた。
朝鮮王朝時代、刑罰には5種類があった。
刑が重い順に言うと、死(サ/死刑のこと)、流(ユ/遠方に流罪にする刑)、徒(ト/つらい重労働をさせる刑)、杖(チャン/杖で叩く刑)、笞(テ/笞で打つ刑)であった。
朝鮮王朝の基本法典である「経国大典」によると、5種類の刑罰の判決期日は次のようになっていた。
「死」……30日以内
「流」と「徒」……20日以内
「杖」と「笞」……10日以内
以上のように、一番重い死罪の者でも30日以内に判決が下りて刑が執行されてしまったのだ。




なお、刑罰の中で「笞」に該当する者は収監されることはなかった。つまり、典獄署の監獄に入っていたのは「杖」以上の重罪に問われていた者たちなのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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