逆上した燕山君/朝鮮王朝のよくわかる歴史5

廃妃になった斉献(チェホン)王后は、実家で質素に暮らしていました。王宮で自分が仕出かしたことを反省する気持ちも日増しに強くなりました。9代王の成宗(ソンジョン)も、王宮を追放された斉献王后のことが気になっていました。

写真=植村誠




賜薬とは?

「もし改心しているなら、もう一度王宮に戻してあげようか……」
そう考えた成宗は、斉献王后の実家に使者を派遣します。「生活態度を見てまいれ!」というわけです。
斉献王后は本当に反省していたので、使者は見たとおりのことを成宗に伝えようとしましたが、その途中で成宗の母親に呼び止められます。母親は仁粋(インス)大妃です。この場合の大妃というのは、王の母を意味する尊称です。
仁粋大妃は斉献王后のことをよく思っていませんでした。息子を駄目にする女だと見なしていたのです。そこで、仁粋大妃は使者に対して「何の反省もなく、相変わらず贅沢な生活をしていましたと伝えよ」と脅します。逆らえなかった使者は仁粋大妃の指図どおりに成宗に報告します。激怒した成宗は斉献王后に死罪を命じました。
日本では切腹が武士にとって名誉ある死に方と言われていますが、朝鮮王朝の場合は毒薬を飲む死罪がそれに該当しました。儒教的な価値観では、親にもらった身体に傷をつけないでことが名誉につながるのです。形のうえでは「王から薬を賜って死なせていただく」ということで、死罪のことは朝鮮王朝では賜薬(サヤク)とも呼ばれました。




韓国時代劇でも賜薬の場面がよく出てきます。毒薬は主に砒素で作られましたが、さらにトリカブトを混ぜていました。
ドラマでは毒薬を飲んだ人はあっという間に死んでしまいます。けれど、実際は絶命するまでに5時間ほど要しました。いわば長く苦しんで死ぬわけで、賜薬は名誉があっても辛い刑死でした。
思い出すのは、『宮廷女官 チャングムの誓い』の冒頭の場面です。白装束の元王妃が無理に毒薬を飲んで絶命する場面が出てきます。そのときの元王妃が斉献王后でした。彼女は毒薬を飲んだあとに白い布に血を吐き、「これをぜひ息子に……」と言って亡くなっていきます。
このときの話に出てきた息子というのが、まだ物心つく前の10代王・燕山君(ヨンサングン)です。成宗の長男にあたります。
母親が亡くなったいきさつを幼い燕山君は知りませんでした。父親の成宗も、「今後一切、この話はするな! 絶対に息子に事実を言ってはいけない」と周囲に厳命していました。
(ページ2に続く)

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