大義名分が必要だった
綾陽君は苦悩した。
彼はクーデターを成功させたが、光海君に政治的な失敗があったわけではない。むしろ、光海君は善政を行なっていたと言っても過言ではなかった。
そんな光海君を王宮から追放すれば、ただの反逆と受け取られかねない。それだけに、綾陽君は大義名分がほしかった。
その大義名分とは、仁穆王后に「光海君は兄弟たちを殺し、正統的な王でない」と宣言してもらうことだった。
つまり、仁穆王后のお墨付きがほしかったのだ。そのためには、仁穆王后の意向には逆らえない。
しかし、光海君を斬首にするというのは別の話だった。そんなことをすれば、クーデターこそが非道のそしりを受け、新しい王位は批判にさらされるだろう。
どうすれば、いいのか。
綾陽君は必死に仁穆王后を説得した。
仁穆王后は強硬に光海君の斬首を主張したのだが、最後まで綾陽君は受け入れる姿勢を見せなかった。
仁穆王后としては断腸の思いだったが、次第に考え方を変えていった。
「憎き奴の斬首を聞き入れられないのなら、その代わりに、娘の待遇を最高にしてもらおう」
仁穆王后は強くそう思った。
1603年生まれの貞明公主は、1623年にクーデターが成功したときに20歳になっていた。10代の間はずっと監禁状態にあったのである。
通常の王女であれば、10代前半に名家の御曹司と結婚するのが普通だった。しかし、西宮(ソグン)に幽閉されていた貞明公主は、過酷な生活を強いられ、結婚どころではなかった。
今は状況が変わった。綾陽君が新しく16代王・仁祖(インジョ)として即位して、仁穆王后は大妃(テビ)になり、庶民に降格になっていた貞明公主も王女の資格を取り戻した。
「娘に最高の生活を送らせてあげたい」
母として、仁穆王后はそのことを強く思った
(第6回に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)