文定王后の悪政/朝鮮王朝のよくわかる歴史7

悪政が横行

可愛い息子を念願の王にしたのですから、文定王后としてはさぞかし本望でしょうが、それだけで満足する女性ではありません。自分が明宗に代わって長い間政治を牛耳り、敵対勢力を根こそぎ粛清しています。
その反動で、国の政治は乱れ、賄賂が横行しました。16世紀の中盤は朝鮮半島でも凶作が続いて餓死者が続出したのですが、それにかまわず文定王后は自分の勢力保持だけに腐心しました。
粛清と餓死で死んでいった人の数は膨大なはずです。その責任のほとんどが文定王后にありました。
彼女は、1565年に世を去ります。
母親が死んで明宗もようやく一本立ちする機会を得たのですが、それからわずか2年で明宗も息絶えます。




母親があまりに悪政をしたために、心がやさしい明宗はさぞかし心苦しかったのでしょう。明宗も、権力志向が強い王妃が暗躍する朝鮮王朝裏面史の犠牲者と言えるかもしれません。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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