母親の死の真相
本当は、成宗も廃妃の息子を次の王にしたくはなかったのです。しかし、長男を大事にする儒教社会のしばりがあり、性格が粗雑で学問も嫌いだったけれど、長男ということで燕山君が後継者になりました。
成宗は1494年に亡くなり、燕山君が18歳で10代王になりました。彼こそは、朝鮮王朝で最悪と言われる暴君です。
政治を省みないで酒池肉林の生活をおくります。それでも、まだ母親の死の真相については知りませんでした。
ところが、冷や飯を食っていた官僚の中で何とか出世したいと考える者がいて、燕山君に取り入ろうとして「実は母上が……」と暴露してしまいました。事実を知って燕山君は逆上し、朝鮮王朝始まって以来の大虐殺事件が起きます。
斉献王后の死罪に関わった人たちは皆殺しにされました。燕山君は、すでに死んでいる人の墓を暴いて首をはねています。とにかく、国中が大混乱に陥ります。
「こんな王がいては王朝がつぶれる」
そう危機感を持つ高官が増えて、クーデターの動きが出てきました。
文=康 熙奉(カン ヒボン)