イ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は本気で都を水原に移そうとした!

正祖は今の韓国でも“朝鮮王朝後期の名君”として揺るぎない評価を得ている。確かに、彼が残した業績は多い。党争に明け暮れる政権を立て直し、停滞していた国政を一変させて様々な改革を成し遂げた。こうした業績が正祖の名声を高めているのは確かだが、それ以上に正祖が今の韓国で尊敬されているのは、彼が模範にしたいほどの親孝行だったからだろう。





顕父に隆盛で報いる

正祖は即位直後に、米びつで餓死した父の思悼世子(サドセジャ)の名誉を回復したが、在位13年を経た1789年からは本格的に父を祭り上げる大事業に着手した。
まず、正祖は高官たちの反対があったにもかかわらず、楊州(ヤンジュ)にあった思悼世子の陵墓を移すことに決めた。
移転先は地元の人たちが“花が咲き誇る地”と称していた水原(スウォン/都の漢陽〔ハニャン〕から南25キロに位置していた)の花山(ファサン)だった。そこが風水で見ると陵墓の最適地だったからだ。
すぐに、思悼世子の陵墓は水原に移され、顕隆園(ヒョンニュンウォン)として整備された。
この名称には“顕父に隆盛で報いる”という正祖の思いが込められていた(現在では隆健陵〔ユンゴンヌン〕と呼ばれている)。




10歳で父の無残な死に直面してから、正祖はどれだけ苦難の道を歩んできたことか。その境遇を耐え抜いて、王となって父の無念を晴らした。
(ページ2に続く)

正祖(チョンジョ)は貞純(チョンスン)王后を処罰しなかった

正祖(チョンジョ)の命を狙った暗殺団が王宮に侵入した!

『イ・サン』でイ・ソジンが見せたセンス抜群のエピソードとは?

『イ・サン』で描かれた正祖(チョンジョ)こそが真のリーダー!

名君だったイ・サン(正祖)が大失敗したことがあるとすれば?




固定ページ:

1

2 3

関連記事

特選記事

  1. コン・ユ主演で魂の不滅を抒情的に描いたドラマ!/トッケビ全集13

  2. 繰り返し見て深みのあるストーリーを味わう!/トッケビ全集8

  3. 16代王・仁祖(インジョ)はどんな王だったのか

ページ上部へ戻る