父母の悲劇
激怒した太宗は、謀反の疑いがあるという理由で沈温を水原(スウォン)に流し、さらに死罪を申し渡した。これを契機に昭憲王后の実家は没落。彼女の母は奴婢の身分に格下げとなってしまった。
父母が悲惨な目にあって衝撃を受けた昭憲王后。追い打ちをかけるように、彼女は廃妃の危機に立たされた。
「王妃にふさわしくない。今すぐに宮中から追放せよ」
沈温の大出世を妬んでいた一派からは、廃妃を主張する声が起こった。あとは、太宗の腹一つだった。彼はどのような決断を下すのか。
実は、後になって沈温の失脚は太宗の謀略であったことが明らかになっている。彼が子飼いの官吏を使って沈温と実弟の不平を誘導したというわけだ。
自分も異母弟二人を殺して3代王となった太宗は、今度も王朝の安泰を願って外戚の排除に躍起になった。中国でも古代の朝鮮半島でも、外戚が王朝の実権を握って政治を混乱させることがよくあったが、その轍(てつ)を踏まないためにも、太宗は強くなりそうな外戚を先につぶしたのである。
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朝鮮王朝の絶世の美女は誰か5「貞明公主(チョンミョンコンジュ)」