『七日の王妃』の端敬王后(タンギョンワンフ)はなぜ七日で廃妃になった?

優柔不断な王

もちろん、中宗は承服できなかった。
「勘違いして自決しようとしたときに押しとどめてくれた愛妻と、なぜ別れなければいけないのか」
そんな心境だったことだろう。
しかも、王なのだから、臣下が何を言ってきてもつっぱねればよかったのである。ところが、中宗は気が弱いというかはっきりしない性格で、最後は端敬王后の廃妃に同意してしまった。
愛妻が王宮を去ったあと、中宗はメソメソばかりしていた。
王宮の高い場所に立ち、端敬王后が住むあたりを見ては、ため息をついていた。そのことが都で噂になり、端敬王后の耳にも入った。
そこで彼女は、住まいの裏の岩山にかつて自分がよく着ていた赤いチマ(スカート)を干し、“私はここで元気に暮らしています”と意思表示をした。




このエピソードは「赤いチマ岩の伝説」とよばれ、韓国でも夫婦愛を示す良い話といわれている。
もとはといえば、中宗が夫として優柔不断であったことから起こった話なのだが……。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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