過去の記事一覧
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朝鮮王朝518年の歴史の中で、王朝を揺るがすような大事件がいくつも起きている。今回は、10代王・燕山君(ヨンサングン)が起こした虐殺事件に注目してみよう。燕山君は、なぜそのような事件を起こしたのだろうか。
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新たな王として国家の礎を築いた太祖(テジョ)。彼が盤石な王政を築けたのは、妻の神懿(シヌイ)王后から生まれた芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳穀(バンイ)、芳幹(バンガン)、芳遠(バンウォン)、芳衍(バンヨン)の6人の…
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李成桂(イ・ソンゲ)は、10万の大軍を率いて遼東の地を制圧しに向かった。しかし、李成桂の懸念通り、連日の雨で兵士たちの間に伝染病が流行した。そのため、高麗の軍勢は鴨緑江(アンノッカン)の中流にある威化島(ウィファド)にて…
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韓国時代劇の8割以上は朝鮮王朝時代が舞台になっている。それだけに、朝鮮王朝の歴史がわかれば、さらに面白く時代劇を見られる。特に、王朝絵巻の主役は27人の王。そうした歴代の王は、果たしてどのような時代を作っていったのか。
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2006年に韓国で放送された「王の女」は、光海君(クァンヘグン)の後ろ楯になった金介屎(キム・ゲシ)を描いています。彼女は光海君の父親の宣祖の時代から、女官として有能に働きました。なによりも、人を動かす術が巧みだったと言…
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光海君(クァンヘグン)が追放された後、彼の統治時代の歴史が「朝鮮王朝実録」に記録されました。クーデターを成功させた仁祖の一派が作りましたので、自分たちのクーデターを正当化するために光海君を大変な悪者に描写しています。それ…
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明から何度も催促がきて、最後に光海君(クァンヘグン)はようやく最小限の援軍を出しましたが、後金に対しても使者を出して「あまりにも明に言われたので、やむを得ず援軍を出しました。けれど、歯向かうつもりはありません。あくまでも…
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光海君(クァンヘグン)の政治的な業績を見てみます。光海君が1608年に即位したときは、豊臣軍による朝鮮出兵からわずか10年で、国土がまだ荒廃しており、王宮のほとんどが焼失していました。戦乱の後遺症があまりに大きかったので…
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仁穆(インモク)王后は、形の上では光海君の母親になります。大妃(テビ)という朝廷の最長老なのです。朝鮮王朝は儒教を国の教えにしていたので、長幼の序を厳格に守り、親行こそが最高の徳目でした。
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宣祖(ソンジョ)は光海君(クァンヘグン)を世子に指名したあとも、実はまだ嫡子にこだわっていました。最初の正室が亡くなった後、彼は仁穆(インモク)王后と再婚しました。その仁穆王后が、1606年に宣祖の嫡子を産みます。それが…
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