『不滅の恋人』が描く時代は、歴史背景からすると1450年代前半だ。ドラマに登場するイ・ガンは歴史的に首陽大君(スヤンデグン)のことで、イ・フィは安平大君(アンピョンデグン)に該当する。この2人は激しく対立したのだが……。
競い合う兄弟
4代王・世宗(セジョン)の長男だった文宗(ムンジョン)は世子(セジャ/国王の正式な後継者)となっていた。
世宗は、二男の首陽大君と三男の安平大君に文宗の補佐役を期待していた。
そこで、世宗はいつも首陽大君と安平大君に同じ仕事をさせた。天文観測やお経の翻訳、世宗の陵の場所を決めることなど、国家の重要事業を二人が一緒に管理するようにした。世宗の晩年には王命を伝えることも二人がやっていた。王家の中でも重要な位置にいる大君(正室が産んだ王の息子)たちの一人に一方的に権力が偏ると、後に王権の脅威になると考えた配慮だった。
長く一緒に政治に参加していた二人だったが、兄弟愛よりも競争心が強かった。武人的な資質を持っていた首陽大君に対して、安平大君は詩、書、画に長けた芸術家だった。特に書は中国までその名がとどろき、彼の書がほしいと願う人が多いほどであった。それだけに、安平大君の自負心も兄である首陽大君に負けなかった。
二人の大君の力が大きくなるにつれて、彼らのまわりには人が集まり始め、彼らがライバル的な関係になると、宮廷には首陽大君派と安平大君派ができて、激しく対立するようになった。
1450年、世宗が亡くなり、文宗が即位した。しかし、病弱だったために、在位わずか2年で世を去った。後を継いで国王になったのは、文宗の幼い長男の端宗(タンジョン)である。わずか11歳だった。
端宗が成人するまで国を治めることになった大臣たちにとって、巨大な力を持っている首陽大君の存在は脅威だった。
そこで、大臣たちは安平大君を引き入れることにした。以前から大臣たちといい関係を持っていたのも一つの原因だが、それよりも彼は首陽大君に比べて相対的に安心できるというのが大きな理由だった。
安平大君は兄の首陽大君を越えて一気に勢いを得た。このように宮廷の力が安平大君に集まってはいたものの、それでも首陽大君と親しくしている者がもっと多かった。力を集めようとした首陽大君の画策が功を奏していたのだ。
1453年、首陽大君はクーデターを成功させて、政権を一気に掌握した。端宗を支えていた大臣の多くが殺された。
こうなると、安平大君も安泰とはいかなかった。
反逆の首謀者にされてしまった安平大君は、息子と一緒に島流しになり、さらには死罪となってしまった。
安平大君の素晴らしい才能を国や民衆のために生かせば、どんなに良かったことか。彼自身もさぞかし無念であったことだろう。
一方の首陽大君は1455年に端宗を脅して退位させて、自ら7代王の世祖(セジョ)となった。兄弟は完全に明暗を分けたのだ。