それにしても、高麗という朝鮮半島を彷彿させる駅名のところに、ゆかりのものが作られていることに特別な感慨を持つ。なぜならば、この高麗駅の周辺は、そもそも朝鮮半島から渡来した人々が1300年前に開拓を始めた地域だからである。そんな悠久の古代に思いを馳せながら、駅前から歩き始める。
この地域は、海抜60~90mの丘陵地帯である。歩いていればわかるが、起伏のうねりが複雑なためか、高麗川の流れはくねくねしている。ただ、高麗川の外縁は崖になっている部分が多い。その崖がちょうど防水堤の役割を果たして洪水を防いでいたのではないか。
それゆえ、人々は水害を心配せずに暮らすことができたのでは……。
特に、高麗川がその流れを最も大きく変えるあたりが巾着田(きんちゃくだ)である。川は大きく蛇行して円型を描くように水が流れていく。もともとは「川原田」という地名だが、山の上から見ると、川の流れがUの字に沿って巾着袋の形を描いている。そこで、人々は親しみを込めて「巾着田」と呼ぶようになった。
ここでは、川が蛇行している分だけ、長い年月の間に外縁の土地を浸食して崖を作っているが、内側は広い川原になっている。しかも、この川原には上流から運ばれてきた土砂が少しずつ堆積した。
現在、巾着田は曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の群生地域となり、秋になると見事な花畑となる。そのときは高麗駅は大変な賑わいとなり、徒歩15分ほどの巾着田まで人の波が続く。花も人も真っ盛りという雰囲気になるのだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)