思わぬ悲劇
「孝明世子の妻の実家である豊壌・趙氏の一族を重用して安東・金氏に対抗させよう」
それが純祖の腹積もりであった。
実際に、純祖の思いどおりに政治は動いていった。
頼もしい孝明世子の成長にしたがって、豊壌・趙氏の勢力が安東・金氏を上回るようになったのだ。
「余もこれで王としての力を発揮できる」
純祖は自信を深めたのだが、思わぬ悲劇が彼を襲った。最愛の孝明世子が1830年にわずか21歳で亡くなったのだ。
絶望の淵に立たされた純祖。後ろ楯を失った豊壌・趙氏も勢力が弱まってしまい、安東・金氏が完全に復活した。
悲しみに暮れた純祖は失意の中で1834年に44歳で世を去った。
父である名君・正祖の後をしっかり継げなかったことは、さぞかし不本意であったことだろう。