朝鮮王朝最高の聖君の母親
兄弟が処刑されるという悲劇を受けて、元敬王后は太宗を恨み続けた。
「王妃を廃妃にされたらいかがですか」
太宗の側近たちは 元敬王后を廃妃にするように求めてきた。
しかし、予想に反して太宗はそれを認めなかった。
夫婦仲は険悪だったのに、なぜ太宗は元敬王后を守ったのか。それは、彼女の内助の功を誰よりもよく知っていたからに違いない。
それでも、元敬王后は、実家を没落させられたり、四男の誠寧(ソンニョン)が14歳という若さで亡くなるなど、さびしく辛い人生を過ごした。
ただし、1418年に三男の忠寧(チュンニョン)が4代王・世宗(セジョン)として即位するのを見届けることができた。
それが、せめてもの幸せの瞬間であったかもしれない。
その2年後の1420年に元敬王后は55歳で亡くなった。彼女は結局、「太宗の妻」というより、「朝鮮王朝最高の聖君の母親」として歴史に名を残したのである。
文=康 大地(こう だいち)