1636年12月、朝鮮王朝は中国大陸の清に攻められた。強大国の攻撃は凄まじく、都は陥落寸前となった。そのとき、貞明公主も漢江(ハンガン)の河口の近くの江華島(カンファド)に避難しようとしたのだが……。
称賛された王女
貞明公主は江華島に向かおうとした。
用意した船に財産をすべて載せて、彼女はまさに陸地を離れようとしていた。
そのとき、多くの民衆も清の軍隊を恐れて、我先に逃げだした。まさに、都は大混乱に陥ったのである。
貞明公主が船を出そうとしたとき、かなりの数の民衆が船着場にやってきた。誰もが恐怖におののき、一刻も早く安全な場所まで逃げたいと必死だった。
それを見た貞明公主はお付きの者に命令した。
「荷物を全部下ろして、できるだけ多くの民を船に乗せなさい!」
即座にそう言われても、お付きの者たちは躊躇(ちゅうちょ)した。船に積んでいたのは、あまりに高価なものばかりだったからだ。
しかし、貞明公主に迷いはなかった。
彼女は毅然とした意志を示して、船から荷物を下ろさせ、できるだけ多くの人たちを船に乗せた。
命を救われた民衆たちは、口々に貞明公主を称賛した。
「さすがに名高い貞明公主様です。このようなお方の徳のおかげで、さぞかし子孫が繁栄なさることでしょう」
民衆たちの言葉に間違いはなかった。
貞明公主は夫の洪柱元(ホン・ジュウォン)との間に7男1女をもうけたが、息子たちは相応に出世し、さらに子孫の中から優秀な人物が次々に輩出した。
たとえば、名君と呼ばれた22代王・正祖(チョンジョ)を補佐して活躍した洪国栄(ホン・グギョン)がそうだ。
彼は韓国時代劇『イ・サン』にもよく登場した高官だが、貞明公主の子孫として歴史に名を残した人物であった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
朝鮮王朝の絶世の美女は誰か5「貞明公主(チョンミョンコンジュ)」
『華政』は光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ)を好対照に描いた!