王はあせりすぎている
「去年の5月に夢の中にある男が出てきたので、“息子はいつ生まれるだろうか”と尋ねたら、“すでに懐妊しています。男の子です”と男が答えた。このときは本当にうれしかったし、その夢が現実になったのだ。早く元子に決めたいのは当然のことである」
ここまで粛宗が言っても、「もっと広く議論して決めたらどうですか」と重臣たちは慎重だった。
しかし、粛宗は押し切った。
「すでに余が決めたことである」
そう言い切って、粛宗は初めての息子を元子にすることを決定した。誰の目から見ても、「王はあせりすぎている」と思えたのだが……。
それから5日後の1689年1月15日、王子を産んだ張禧嬪は封爵が嬪(ピン)に昇格した。嬪といえば、正一品の品階で女性の最高位である(ちなみに王妃には品階がない。品階を超越した存在とみなされたからだ)。
こうして張禧嬪は宮中で王妃に次ぐ存在になった。
しかし、これで終わりではなかった。
翌年に張禧嬪はついに王妃にまで昇格するのだが……。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
朝鮮王朝三大悪女(張緑水、鄭蘭貞、張禧嬪)の哀れな最期とは?