扁額に残された漢詩
福禅寺の大広間には、「日東第一形勝」の他にも、朝鮮通信使の一行が書き残した様々な書が扁額となって残っている。
その中でもひときわ目を引くのが、「對潮樓」と大書きされた扁額だ。その書が揮毫されたのは、1748年の第10回目の朝鮮通信使のときだった。
福禅寺の大広間を「對潮樓」と呼んだのは、そのときの正使の洪啓禧(ホン・ゲヒ)だった。彼の息子の洪景海(ホン・ギョンヘ)に、2枚並べて大きくなった紙に「對潮樓」と揮毫させた。
そして、「海上から見えるようにしてほしい」と希望したという。そこで寺主は、この書を寺の外の海側に掲げた。
しかし、潮風で早く傷むのは目に見えている。そこで、福山藩主の阿部正福は書を扁額に仕立てて寺に寄贈したという。
以来、福禅寺の大広間は「對潮樓」と命名され、瀬戸内海の絶景が見える客間として有名になったのである。
この「對潮樓」には、前述した李邦彦や任守幹の漢詩も扁額となって飾られている。
李邦彦の漢詩には「天涯の鞆の浦を去るのは惜しい。さあ、樽前に集まり、勢い盛んに柏酒の杯を傾けよう」という一節があった。樽が出るほどだから、相当な酒量であろう。往時を想像して、こちらまでちょっとホロ酔いになるかのようだ。
一方、任守幹は次のように漢詩を詠んでいる。
「遠く隔たった異国は春にならんとし、雁は帰ろうとしている。幸いに、諸公とこの会に同席している。夜どおし深杯を尽くし、飲むことを妨げるものはない」
こうした一節を見ても、朝鮮通信使の一行がいかに歓迎され、夜遅くまで祝宴が催されたかがわかる。
(次回に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)