トンイと張禧嬪のライバル物語3「大事件の結末」

金春沢とは誰なのか

実は、粛宗は王権の強化に成功した王でした。彼は派閥をうまく拮抗させながら、あまりにも一方が強くなると一気に蹴落とすという調整をしました。そうやって、派閥が必要以上に大きくなるのを防いだのです。その点で、粛宗は大変頭のいい王でした。
仁顕王后の復位が決定し、張禧嬪の降格と張希載の流罪が実行されましたが、その際に淑嬪・崔氏はどうしていたのでしょうか。つまり、元をただせば、張希載が淑嬪・崔氏を毒殺しようとしたという告発が政変のきっかけだったのです。
実は、淑嬪・崔氏の陰で動いていた人物がいます。名を金春沢(キム・チュンテク)と言います。彼は、ドラマ『トンイ』の中ではシム・ウンテクという名で出ていました。
この金春沢は、粛宗の最初の正室だった仁敬(インギョン)王后の父親・金万基(キム・マンギ)の孫になります。つまり、名門の出身なのです。しかも、西人派の重鎮の家柄でした。
金春沢は大変頭が良かったようです。いろんな形で計略を練れる男でした。そんな彼が、淑嬪・崔氏と男女関係にあったのではないかと言われています。しかも、金春沢が淑嬪・崔氏を粛宗のもとに送り込んだ張本人だという説もあります。




大いにありうる話です。彼が、張希載の毒殺事件というものをでっち上げ、自分の息のかかった下級官僚に告発書を出させて、それを既成事実のようにして南人派を追い落としたのかもしれません。もちろん、「朝鮮王朝実録」にそういうことは書いてありませんが、客観的な事実を見ていくと、そういう推理も成り立ちます。
1694年9月、淑嬪・崔氏は粛宗との間に再び息子を産んでいます。それが、後の21代王・英祖(ヨンジョ)です。
(第4回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

トンイと張禧嬪のライバル物語1「最初のエピソード」

トンイと張禧嬪のライバル物語2「宿敵誕生」

トンイと張禧嬪のライバル物語4「粛宗の怒り」

トンイと張禧嬪のライバル物語5「最終対決」

トンイは王宮の裏でどのように暗躍したのか




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