歴史に残る重要な出来事/第14回「癸酉靖難」

金宗瑞(キム・ジョンソ)は4代王・世宗(セジョン)の統治時代に活躍した重臣だ。豪快な性格と毅然とした態度から、人々は彼を“大虎(テホ)”と呼んだ。6代王の端宗(タンジョン)がわずか11歳で即位したとき、最強の後見人になったのが、この金宗瑞だったのだが……。





王をおどした叔父

端宗が1452年に即位すると、世宗の二男で端宗の叔父であった首陽大君(スヤンテグン)は、露骨に王位を狙い始めた。
彼はついに決起した。屈強な従者を引き連れて、まずは金宗瑞の屋敷に向かった。
そして、首陽大君は金宗瑞の油断を誘い、隙を見せたところで従者に鉄槌で襲わせた。不意をつかれた金宗瑞は、なすすべもなく地面に倒れ込んだ。異変を察知した金宗瑞の息子の金承珪(キム・スンギュ)は、父を守ろうとして覆いかぶさった。しかし従者は、金承珪ごと刀で切りつけた。
こうして、金宗瑞は暗殺され、もはや首陽大君を止められる者は、誰もいなくなってしまった。
最大の難敵を排除した首陽大君は、その足で何も知らない端宗(タンジョン)のもとへ向かった。
そして、端宗の眼前で首陽大君は「金宗瑞は権力を利用して私腹を肥やしていた重罪人なので殺害しました」と報告した。




さらに、「他にも処刑しなければならない者がいます」と告げ、強引に端宗の許可を仰いだ。
屈強な武臣たちを従わせる首陽大君に端宗は抗うことができず、怯えながら首陽大君の手を取り、「殺さないでください」と懇願した。こうして首陽大君は、端宗から実質的な王権を奪い取った。
次の幕は粛清劇である。
端宗の王命で、高官たちが次々に王宮に呼ばれた。その中で、首陽大君に味方しないと見られた人たちが無残に殺害された。
首陽大君は、実の弟の安平大君(アンピョンデグン)も容赦しなかった。政権を奪おうとした罪を問い、安平大君の官職を剥奪したうえで、江華島(カンファド)に流罪にしてしまった。
首陽大君は多くの人間を抹殺したうえで一気に最大の権力を得た。この出来事は、癸酉(ケユ)の年(1453年)に起きたことから「癸酉靖難(ケユジョンナン)」と呼ばれている。
この「靖難」とは、国難を平定したという意味である。
しかし、実際には首陽大君による反逆であり、朝鮮王朝の歴史を汚す非道なクーデターであった。

歴史に残る重要な出来事/第1回「燕山君の悪行」

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